◆ 最初は、ただの「道具」だった。
届いたばかりのギター。
まだ弦の張り方も分からず、チューニングもあやふやで、
“楽器がある暮らし”に、どこか背伸びをしていた。
リビングの片隅に立てかけられたそれは、
どこか居心地悪そうに見えた。
「いつか上手くなったら、ちゃんと弾いてあげよう」
そんなふうに思っていた。
◆ いつからか、それは“生活の中の音”になっていた。
ある日、気づいた。
- 洗濯機を回しているあいだに、指が弦に触れていること。
- 曇り空の午後、ピアノの前に自然と座っていたこと。
- 朝、コーヒーを淹れるように、ウクレレを1音鳴らしていること。
それは“練習”というよりも、
暮らしのリズムに寄り添うような行動になっていた。
「上手くなりたい」という気持ちはまだあるけれど、
今はもう、「ただ音を鳴らすだけで心が整う」のだ。
◆ 楽器は、“景色”になれる。
最初は浮いていたはずのギターも、
今では部屋の色になじみ、
陽が差し込む窓辺に静かに佇んでいる。
誰かに見せるためじゃない。
飾りじゃない。
でも、そこにあると安心する。
それはもう、“風景”なのだ。
💬ある70代女性の言葉
長年連れ添った夫を見送って、
ぽっかり空いた時間に耐えられなかった。
娘がすすめてくれた音楽教室で、
ピアノに触れるようになった。
最初は音が出るだけで精一杯だったけれど、
今では、ピアノの上に花を飾るのが日課になった。
楽器があることが、暮らしの支えになっている気がします。
🎁まとめ|音が“暮らしの一部”になったとき、音楽は完成する。
練習じゃなく、習慣に。
演奏じゃなく、生活に。
音楽は、「特別なこと」から「日常」へと、
ゆっくりと溶け込んでいく。
ふとしたときに手が伸びる。
音が鳴って、気持ちが少し整う。
何もない日が、少しだけ彩られる。
そのとき、あなたの暮らしは、もう音楽とともにある。